【誰も教えてくれない】大学に友達は必要か?
みなさん、こんにちは。
いきなりですが、大学に友達は必要だと思いますか?
「は?こいつ何言ってるんだよ。当たり前だろ」と思われた方も多いかと思います。
私も一時期は、大学に友達がいないことが原因で精神的に病み、精神薬を飲む日々が1年間ほどありました。
いま、思い返しても心が張り裂けそうな気持ちになります。
しかし、今こうして振り返ってみると、大学生活にそこまで固執する必要はないと私は思います。
私たちは、大学に入ったら必ず同世代の友達を作って、みんながやっているようにお酒を飲んで盛り上がって......。みたいな幻想に支配されていると思うのです。
居場所は、大学以外にもたくさんあります。
今では、インターネットやSNSも普及して、現実とは全く違うデジタル空間で友達を作り、そこで友情を育むこともできると思うのです。
私たちに必要なのは友達ではなく、幅広い視点です。
落ち込んで立ち直れそうになくなった時には、視野を広げて斜め前を見てください。
そう言う思わぬ場所にこそ、私たちの居場所はあります。
大学4年間をぼっちで過ごした男の末路
みなさん、こんにちは。
このブログを見られていると言うことは、皆さんも大学に友達がほとんどおらず、
「このまま大学生活を過ごすとどうなるんだろう?」と悩んでいる方も多いのではないでしょうか?
そこで、今回は大学4年間を友達が一人もいない状態で過ごしてきた男の率直な感想をダラダラと書いていきたいと思います。
大学4年間をぼっちで過ごした男の末路
本日の記事の要点は以下の通りです。
1.大学1、2年の頃が一番精神的に辛い話
2.大学3年になると悟りを開く話
3.意外と人生、何とかなる話
以下一つ一つ掘り下げていきます。
1.大学1、2年の頃が一番精神的に辛い話
僕は、大学ぼっちが一番辛くなる時期は最初の2年間だと思っています。
「え?なんで3年以降は入ってないの?」と思われた方も多いことでしょう。
理由はとても簡単で、大学に友達がいないという状況が普通になって、辛いとか苦しいとかいう考え方が消えてしまうからです。
かくいう僕も最初の2年間は、「なんで周りの人はこんなに楽しそうにしているのに、僕だけ惨めなキャンパスライフを送っているんだ......」と思い悩んでいました。
周りの大人が、「大学生は人生の夏休みだから、一番楽しい時期だよ!」と言うたびに精神的に病んで立ち直れなくなるような時もありました。
しかし、3年間もぼっちの生活を継続してしまうと、自分と他の人を比較するという癖がなくなってしまうんですよね。
この癖が良いのか悪いのか正直社会人になってみないと分からない部分はありますが、今では、そこそこ幸せな生活を送れています。
2.大学3年になると悟りを開く話
最初の2年間は、ひたすら自分と周りの華やかな大学生を比較してしまい、落ち込んでしまう日が多いのですが、3年生になるとガラッと変わります。
それまでとは違い、「僕と周りの大学生はそもそも、同じ大学に通っているというだけで何も共通点なんてないんだから、比較する必要がない」という考え方に転換します。
つまり、悟りを開くことになるわけです。
前のように比較することもなく、読書やゲームなどの自分の趣味に没頭できるようになり、自分の人生を歩むこともできるようになりました。
こうして、自分の趣味に没頭し周りの目を気にしなくなったのも最初の2年間があったからこそだと思うので、「2年間ぼっちで過ごしてむしろよかったのでは?」と思うほど、充実することができています。
3.意外と人生何とかなる話
「大学に友達ができなくてつらい......」、「周りの人と比べて人生終わってる」と思っている方も多いと思います。
ですが、現時点で大学4年間もの間、友達ができずぼっちで過ごした僕がなんとかなっているので、人生なんとかなるものだと僕は思います。
「大学なんて大卒資格を取りに行く場所でしかない」という気持ちで日々を過ごした方が気が楽になると思います。
大学ぼっちに必要なのは友達ではなく没頭である
近頃、Youtubeなどでもぼっち系大学生などが登場し、「大学に友達がいないのは当たり前である」みたいな風潮が流れていると思います。
もともとは、「ぼっちであることが恥ずかしい」という価値観が一般的でしたので、ぼっちが認められてきているのは良い風潮だと思います。
そこで、今回はぼっち大学生と呼ばれている方におすすめの本と、現役ぼっち大学生の私の考えを述べます。
大学ぼっちに必要なのは友達ではなく没頭である
本日の記事の要点は以下の通りです。
1.ぼっちに必要なのは友達ではなく没頭である
2.大学を意識しすぎると人生が辛くなる話
3.現役ぼっち大学4年生の僕が救われた本
以下1つ1つ掘り下げてみていきます。
1.ぼっちに必要なのは友達ではなく没頭である
僕は、ぼっち大学生に本当に必要なのは友達ではなく没頭だと思っています。
大学生に自分の学生生活の色を聞くという研究があったのですが、一位が透明、2位が灰色、3位が黒色だったそうです。
一見、友達が多く楽しんでいそうに見える大学生でも実態は自分の現状に満足できていないという人が大半です。
友達が多くとも、所詮は他人ですから気を使いつつ生きるというのは、楽しいことばかりではないということですね。
一方、趣味を充実させた場合はどうでしょうか?
基本的に人間は、「今、この瞬間」に集中している時が一番幸福感を得られやすいと言われており、この状態をマインドフル状態とも言います。
実際、僕自身も趣味の小説を読んだり、アニメを見ている時が一番充実しているように実感します。
友達ではなく、趣味を充実させるという選択も大学生活を充実させる上では良い考えだと思います。
2.大学を意識しすぎると人生が辛くなる話
大学生活では意外にも、学校のことを意識しすぎると人生が辛くなります。
「え?どういうこと?大学に通っているんだから、学校のことを考えるのは当たり前でしょう?」と思われる方も多いと思います。
しかし、どれだけ大学が高校の頃と比べて人の数が増えると言っても、多くとも7万人が最大です。(日本大学の在籍数)
7万人の中でも自分と似たような価値観、趣味を持ち、同じような人生を歩んできている人となると......おそらくほとんど存在しません。
もちろん、全く同じ人を探す必要はなく、少しでも気が合う人と関わるのも良いと思うのですが、全人生を通して自分と死ぬ時まで関わるのは自分自身です。
なので、若い今のうちに興味を自分自身に集中し、納得のいく人生を歩むのも一つの手ではないでしょうか?
3.現役ぼっち大学4年生の僕が救われた本
最後に現役で4年間ぼっちの大学生活を送ってきた僕が救われら本をおすすめします。
1冊目は、フョードル・ドストエフスキーの「罪と罰」です。
「うわ......いきなり難しそうな本きたよ......」と思ったそこのあなた。
たしかに、その通りでこの本はお世辞にも読みやすいとは言えません笑
しかし、小説の最後には、主人公とともにあなた自身も自分の人生を前向きに生きられるようになるはずです。
読んで損はないと思うので、未読の方はぜひどうぞ。
まとめ
大学では、高校までと違い自分で身の回りのことを決めないといけません。
ですが、その分、自分のやりたいことに時間を費やせる時期でもあるので、ぜひ自分の趣味に時間を費やし、楽しいキャンパスライフを送ってください。
「〜すべき」という考え方を持ってはいけない本当の理由について
突然ですが、みなさん。
生きている中でよく、「恋愛は学生時代にすべ
き」、「中小企業よりも大企業に行くべき」、「会社は3年間は勤めるべ
き」等の〜すべき構文を見かけることはありませんか?
僕は、この「〜すべき」という考え方は、とても危険だと感じています。
もちろん、学生時代に恋愛するのは素敵なことだし、大企業に行けるのは努
力の賜物だし、会社に3年間勤められるのは社会人として立派だし、全てに
良い面があるのは間違いありません。
しかし、それは全部成功したときだけに限られます。
みなさん、お分かりだと思いますが、人生なんてうまく行くときの方が稀だ
し、ほとんどが挫折や失敗から成り立っています。
それでも、立ち上がり苦しい思いをしながらも、なんとか今日のご飯を食べるために生きていく。それが人生だと思うのです。
しかし、ここで「〜すべき」という考え方に囚われてしまっているとどうなるでしょう?
「学生時代に恋愛できない自分は負け組で、ダメ人間だ……」、「自分は大企業に行けなかったのに、なんであいつは……」、「会社に3年間勤められない自分は、社会不適合者だ……」というふうに、「自分を責める」、「価値観を押し付けてきた社会を恨む」の2択のどちらかになります。
また、2択の行き着く先は、「自分を責め鬱になり自殺する」、「社会を恨み犯罪という形で復讐する」という最悪の形にもなりかねないのです。
このように、「〜すべき」という考え方は人を追い込み逃げ場をなくし、狂気の道へと駆り立てているのです。
また、競争社会と言われている現代においては、人々は柔軟な思考をなくし他者との比較においてのみ幸せを追求しているように感じます。
ちなみに、カナダのダルハウジー大学の研究によると、「〜すべき」などの完璧主義者は1990年代以降、若者の間で増えています。
これは、SNSの普及により、同世代で大きな成功を成しげている人を見かけることが多くなったからだと言われています。
また、完璧主義者はその後、年齢を重ねるほど失敗しやすくなり、チャンスを逃す機会が多くなったそうです。
このように、「〜すべき」思考は長期的には良い結果を及ぼさないばかりか、悪影響を及ぼすことの方が多く、人生において非常に危険な考え方なので、社会的に広く危険性が認知されていってほしいと考えています。