「〜すべき」という考え方を持ってはいけない本当の理由について

突然ですが、みなさん。

生きている中でよく、「恋愛は学生時代にすべ

き」、「中小企業よりも大企業に行くべき」、「会社は3年間は勤めるべ

き」等の〜すべき構文を見かけることはありませんか?

僕は、この「〜すべき」という考え方は、とても危険だと感じています。

もちろん、学生時代に恋愛するのは素敵なことだし、大企業に行けるのは努

力の賜物だし、会社に3年間勤められるのは社会人として立派だし、全てに

良い面があるのは間違いありません。

しかし、それは全部成功したときだけに限られます。

みなさん、お分かりだと思いますが、人生なんてうまく行くときの方が稀だ

し、ほとんどが挫折や失敗から成り立っています。

それでも、立ち上がり苦しい思いをしながらも、なんとか今日のご飯を食べるために生きていく。それが人生だと思うのです。

しかし、ここで「〜すべき」という考え方に囚われてしまっているとどうなるでしょう?

「学生時代に恋愛できない自分は負け組で、ダメ人間だ……」、「自分は大企業に行けなかったのに、なんであいつは……」、「会社に3年間勤められない自分は、社会不適合者だ……」というふうに、「自分を責める」、「価値観を押し付けてきた社会を恨む」の2択のどちらかになります。

また、2択の行き着く先は、「自分を責め鬱になり自殺する」、「社会を恨み犯罪という形で復讐する」という最悪の形にもなりかねないのです。

このように、「〜すべき」という考え方は人を追い込み逃げ場をなくし、狂気の道へと駆り立てているのです。

また、競争社会と言われている現代においては、人々は柔軟な思考をなくし他者との比較においてのみ幸せを追求しているように感じます。

ちなみに、カナダのダルハウジー大学の研究によると、「〜すべき」などの完璧主義者は1990年代以降、若者の間で増えています。

これは、SNSの普及により、同世代で大きな成功を成しげている人を見かけることが多くなったからだと言われています。

また、完璧主義者はその後、年齢を重ねるほど失敗しやすくなり、チャンスを逃す機会が多くなったそうです。

このように、「〜すべき」思考は長期的には良い結果を及ぼさないばかりか、悪影響を及ぼすことの方が多く、人生において非常に危険な考え方なので、社会的に広く危険性が認知されていってほしいと考えています。